動画クリエーターブログ

フリーランスのイラストレーターの日記です。

無言館

以前テレビの『日曜美術館』で見た、村山槐多氏の作品、

赤しょんべんの”情熱”と、湖水の”静寂”が忘れられなくて、

信州の『無言館』に出かけた。

 

上野駅付近で前泊し、早朝、上田城を散歩して、

上田電鉄別所線で、塩田駅に向う。

別所温泉に向かうバスを乗り継ぐと、

無言館は丘の上にひっそりと建っていた。

 

あいにく、村山槐多氏の作品のある「槐多庵」は

閉館のため見ることはできなかったが、

戦没者のたくさんの絵に出会うことができた。

 

建築家を志していた神戸の画家のトアーロードの街並み、

その少し右に大胆に横たわる裸婦、

銀縁のメガネの奥っから繊細に見つめ返す画家のまなざし、

 

抜群のバランスで描かれた茄子の屏風

大胆なタッチで描かれた岩山の風景

 シンプルでモダンな青い馬たち

 

今にも話し始めそうな画家たちの自画像

貧しかった家族の団欒を優雅に描いた画家の感謝の気持ち、

パレットやスケッチ、戦地からのハガキ。。。

 

並ぶ絵の作者はもうこの世にいない。

生きること、描くことへの熱い思いを感じ、

残された自分の命を大切に生きようと思った。

 

 

 

P.S.

上田電鉄の駅に、電車とバスの乗り継ぎ時刻表がある。

本数が少なく飲食店があまりないので、

事前に計画を立てると良いと思う。

 

ーーーーーーーーーーー 以下 関連記事 ーーーーーーーーーーー

 

mugonkan.jp

 

無言館信濃デッサン館は、「信州の鎌倉」と呼ばれ、別所温泉のある塩田平にあります。どちらも、作家故水上勉みずかみつとむさんの息子である窪島誠一郎くぼしませいいちろうさんが私財を投じて運営されている、世界的にもユニークな美術館です。

無言館は、戦没画学生たちの遺作となった絵画・作品・絵の道具・手紙などを専門に収蔵展示しています。芸術の才能を花開かせる前に戦場で散った画学生の作品は、涙なしには見られず、観覧中にあちこちですすり泣く声が聞こえることもあります。
窪島さんの「戦没画学生達は反戦のために絵を描いていたわけではない」という考えで、反戦のメッセージを前面に出さず、作品を淡々と展示していることでより深い感銘を受けます。

2009年からは、全国から寄せられる戦没画学生の絵画をより多く展示するため、第二展示館もオープンしています。2014年から海外の戦没画学生の作品も収集展示しています。

信濃デッサン館は、立原道造関根正二など若くして病死した画家のデッサンを中心に展示しています。特に、農民美術運動を指導した洋画家山本鼎のいとこの村山槐多の作品は、徒歩1~2分の別館「槐多庵」に展示されています。信濃デッサン館は無言館に比べて経営が苦しく、2006年にいったん閉館すると発表しましたが、「閉館しないで欲しい」というファンの声で、2007年1月から半年休館して改修、展示スペースを拡張して再オープンしました。

    窪島 誠一郎さんと水上勉さんは


窪島 誠一郎さん

窪島 誠一郎さんは、1941年に東京で生まれ、戦争の混乱期に父の水上勉と別離し、スナックや画廊を含むいろいろな仕事をしてから、1979年に長野県に信濃デッサン館を設立されました。お父さんとの再会や確執、信濃デッサン館と無言館を題材にたくさんの本も執筆されています。

お父さんの水上勉さんは、1919年に福井県で生まれ、極度の貧困や戦争を体験した後、直木賞を受賞して社会派の作家となり、「飢餓海峡」「五番町夕霧楼」などの著名な作品を発表しました。長野県の軽井沢・現在の東御市に拠点を移し、2004年にそこで亡くなりました。

無言館信濃デッサン館周辺で開かれるイベント

  • 無言館:毎年8/14~16に、入口に、戦没画学生の名を刻んだ絵筆を供えて供養する「千本の絵筆供養台」が設置されます。
  • 信濃デッサン館:毎年2月第4日曜に、大正時代の画家村山槐多さんをしのぶ「槐多忌」として、トークショー・朗読・ミニコンサート等が行われます。
  • 別所温泉では、7月に岳の幟が開かれます。

ご注意

※料金・営業日時などは最新の情報でない場合もあります。記載内容が正確でない場合も、当サイトでは責任は負えません。お電話、公式サイト等で直接ご確認ください。記載内容が正確でない場合も、施設に責任はなく、当サイトでも責任は負えません。

 

www.travel.co.jp

無言館」は、徴兵により画家や彫刻家、あるいはデザイナーや建築家などになる夢を断たれ、戦場に散った美術学生(戦没画学生)たちの遺した絵だけが展示されている美術館。
館主の窪島誠一郎さんは、その名前の由来を自ら著した絵本の中でこう書いています。

なぜ「無言館」っていう名をつけたかって?
だって 戦死した画学生さんの絵の前に立ったら
悲しくて くやしくて つらくて
何もいえなくなっちゃうんだもの
黙るしかないんだもの

でも
たくさんの人たちに
無言館」にきてほしい
そして黙って
画学生さんの絵の前に立ってほしい 

窪島誠一郎 「約束 『無言館』への坂をのぼって」)

戦没画学生の絵の前では誰もが無言になります。
そしてときどき誰かが静かに鼻をすすりあげる音だけが響くのです。

無言館の絵が語るもの

    

無言館の絵が語るもの

写真:風祭 哲哉

地図を見る

無言館の建物は、余計な装飾を一切排除したようなシンプルなコンクリート造り。正面には窓がなく、一人ずつしか入れないような木製のドアがあるだけです。入場料金は出口で支払うしくみのため、受付やチケット売り場もなく、ドアを入るとすぐに展示スペースが始まります。作品を照らす以外の照明は極限まで落とされていて、館内は薄暗く、静まり返っています。
十字の形をした展示スペースの壁に沿って画学生たちが遺した作品が飾られています。
作品は全部で100点くらいでしょうか。ひとりの画家の作品数はさほど多くはありませんが、その分、数多くの画家たちの作品が並んでいます。それぞれの画家の紹介では出身地、出身美術学校、戦死した場所、そして最後に享年が記されています。
ほとんどの学生が20代から30代前半で、その貴重な才能を奪われてしまったことがわかります。

彼らが遺していった数々の作品は、何ひとつ物音のしない静謐な美術館の中で、もちろん無言のままそこにあるのですが、無言であればあるほど、声なき叫び、声なきメッセージが、伝わってくるかのようです。
戦争に行く直前まで恋人の裸体を描き、この続きは必ず戻ってきて描くから、と言って出征し、二度とは戻ってこなかった若き画家。彼らの作品には妻や恋人、祖母や姉妹など、女性を描いたものが圧倒的に多く残っています。残された時間に限りがある中、彼らが最後に描いたのは、こうした彼らの最も愛する人の絵だったのかもしれません。
「いつまでもこうして絵を描いていたかった」
無言のはずの絵からは、いつの間にかそんな声が聞こえてくるかのようです。

館内中央部のガラスケースには、彼らの様々な遺品が並んでいます。
使い込んだ絵筆をはじめとする画材セットやスケッチのノート。
色あせた写真、戦地から家族へ宛てた手紙。
招集令状、そして戦死の報告書類。
鹿児島・知覧の特攻記念館の展示とは似たようなものもあり、異なるものもありますが、どちらもそれが見る人の心に深く響く、という点では変わりません。

。。。。そしてその横にあるのは同じ灰色で塗られた「開かないポスト」。平和への願いや、夢、想いなど、今の気持ちをこのポストに投函すると、このポストのまま永久に保存されるのです。

『2018年4月2日

戦没画学生慰霊美術館 無言館
〒386-1213
長野県上田市古安曽字山王山3462
TEL:0268-37-1650
FAX:0268-37-1651

夭折画家の館 信濃デッサン館
〒386-1436
長野県上田市東300
TEL:0268-38-6599
FAX:0268-38-8263

開館時間:09時00分~17時00分
休館日:毎週火曜日休館(祝祭日の場合は開館、翌日休館)

アクセス
電車:JR北陸新幹線しなの鉄道上田駅」にて乗り換え、上田電鉄別所線塩田町駅」から徒歩30分(4~11月はシャトルバスあり。JR上田駅のお城口観光案内所で電車とバスの乗り継ぎ時刻表をお確かめください。)
車:上信越道・上田菅平ICより約35分/長野道・岡谷ICよりR142経由約1時間
タクシー:JR北陸新幹線上田電鉄別所線「塩田駅」から10分(塩田駅までタクシーを呼んでいただく必要があります。)